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胃潰瘍
光線治療の成果
○○ 孝信 60歳
昭和54年、職場検診で胃潰瘍の診断を受けました。自覚症状がない為不服でしたが医者の指示で一ヵ月の入院をしました。
退院後、しばらくは毎日、食後の薬と月二~三回の診察を続けました。しかし、自覚症状が無いのと頭はともかく身体だけは丈夫である自信から自然に薬と病院から遠ざかり、暴飲暴食、酒、タバコと胃に悪いと思われる生活を続け、何度か再発、入退院を繰り返していました。
手術も希望したのですが。“薬で治る。手術は勧めない”との医者の説明と病気に対する無知、無関心から、また職場の都合もあり元の不規則な生活へと戻ってしまっていました。
昭和61年、自覚症状として、腹痛と強烈な背中の凝るような痛みが襲いました。
夜中、あまりの苦しさに柱の角に背中を押しつけグリグリと押す…そんな眠れない夜が何日も続きました。指圧、整体、色々な健康器具、漢方薬等試してみましたが好転せず、遂に昭和62年吐血…最初、牛レバーのような血の塊、そして洗面器に一杯の血。
次の日も夜中にトイレ中、血の海になる位吐き、とうとう入院となりました。
手術はしなかったものの、即、輸血とのこと、七~八人分の血液を頂き、助かりました。
退院後は内服薬と診察の為通院し、胃カメラによる監視を続けました。
この頃、光線療法をやっている妻に勧められ、光線を照射するようになりました。
しかし、以前の体験から他の健康器具と同じであろうと思い、あまり信用はしていませんでした。
そのため、調子が悪くなると照射し、体調が良くなると休むを繰り返していました。確かに照射すると体調が良くなることは実感していました。
この時期に体験したことですが、薬を飲んでカメラ検査をすると、胃の中は黄粉が付着したようによごれていて胃壁が全然見えず、そのためカメラ管の脇から別の管を入れ、スポイト状のもので水を弾き、洗浄しながら検査するという状態でした。
それが、光線治療してから検査をすると胃の中がピンク色にきれいになって、胃の壁面の動く様子がよく見えました。
相互に何度も体験しながら私は、まだ光線治療の所為とは気が付きませんでした。しばらく、光線治療と病院通いを続けていましたが、何度か再発は繰り返していました。
そんな時に私の体質、胃の状態等が潰瘍になりやすいタイプであり、手術をしてから光線治療を行った方が良いとのアドバイスを受け、手術をすることを決意しました。
平成三年、入院。胃、十二指腸を全摘出しました。退院後は二~三度、傷痕の検査で病院に行きましたが薬等はありませんでした。その後は自宅で光線治療を実施し、病院、薬等とは無縁となりました。
食事は退院後十日~二週間位は消化の良い、軟らかい物を一日五回位でしたが勤務の関係で不便を感じ、一日三回普通の食事を普通の糧で過ごしました。
食べすぎて苦しくなると光線照射を続け、一年程で食べすぎて苦しくなるということはなくなりました。
体重、血圧は
入院前 68~70㎏ 120前後
退院時 52~54㎏ 90前後
現在 62kg前後 120前後
退院後三~四年くらいから変わっておりません。会社の検診でも異常はなく、注意点も全くありません。現在も健康体を維持しています。
同年輩で胃潰瘍を手術した人達は十年経過しても、毎日の薬と月数回の診察を続け、食事、生活習慣も異常なほど気遣い、又、手術の跡も生々しく残っている状態です。少しでも気を抜くと調子が悪くなり、再発する。との事でした。
一方、私の傷は一年位で殆ど消え、一本の皺のようであり、他人に見せると”電気メスを使ったから””担当した医師の腕が良かったから”等々、言ってますが私は光線治療の成果であると確信しています。
私自身、術後の腹の中、特に胃がどうなっているか気掛かりでもあり、又、年齢的にも一度、精密検査が必要かなあと思っていますが会社の検診でも異常なく、風邪、花粉症も関係なく体調も万全の今、折角の良好状態を病院の検査で崩したくないのが本音です。
今後も自分自身、光線療法で健康を保持しつつ、我の姿と体験を広く伝え、一人でも多く、一日も早く、光線治療の確かさを理解して頂くよう努力していきたいと思っています。
○○光線○○
八戸市
TEL 017
上記は全国光線普及協会発行の光線療法体験集掲載分です。