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太陽光線を悪者扱いにするため、様々な病気・怪我で苦しむ事となります。それを解消するための”光線治療”です。
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痔瘻
 
嫁入り道具
 
千葉県○○市
○澤 ○子  三十五歳
 
 私は嫁入り道具として、光線治療器を持たされました。
 結婚後しばらくし主人が痔瘻と医者より診断されました。一ヶ月の入院との事。新婚でも有り、自分で仕事をしている事も有って時間も取れず、困って母に電話をすると「何時間でも害にならないから三台で足裏・肛門・腹に照射しなさい」と言われ、光線治療を開始しました。八時間後(主人は照射中[気持ち良い]と言っていました)の事です。尾骶骨の脇に穴が二つ開き、そこから膿が・・・・ティッシュペーパー一箱使い切りました。膿が全て出てしまったのか、今までは正座など出来なかったのですが、この後は正座で食事をし“本当に苦しかったのかしら”と思うくらい良くなり、夜はグッスリと眠って、翌朝はスッキリした顔で「おはよう」とのこと。昨日は何もなかったかの様に。昨日開いた二つの穴に絆創膏を張り仕事に出掛けました。光線の威力にただ驚きです。仕事から帰って来ると風呂に入り光線照射を毎日しました。穴からは膿、そのうちツユが出てきてツユも出なくなると中から肉がもり上がってきて、三週間位で元通りになり痛みも無くなりましたが、毎晩足裏に照射してから休んでいます。
 我が家は子供が三人おり、上の男の子は幼稚園の頃より愛好者で、一寸した事でも自分で光線照射していました。小学校に入るとサッカー少年となり、練習、試合と大変きつく、帰って来るとすぐに照射し、少々のケガも全部光線で治し、今年より中学に入学、成長期に多い骨の病気にも罹らず、サッカーの友達は病気に罹り運動禁止で悩んでいる状態。捻挫で足もつけなかったのが、三日で走り回ることが出来“自分は光線のお陰だね!”と喜んでいます。私も甲状腺をもっているのですが、元気に仕事をしております。医者の検査は受けておりますが「不思議だね??」と言われ続けております。母からのプレゼントがこんなに我が家の貴重品になるとは・・・・唯感謝です。
 
 
 
 
上記は、全国光線普及協会編集・発行の光線療法体験集掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
 
悩んでいないでご相談下さい。
 
2007/10/17
サンフォートピア
光 線 治 療 院
E・メール  info@kousenchiryouin.com
ブログ“ひなたぼっこ”  http://ameblo.jp/kousenchiryou/entry-10037893555.html
 
 
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胃の悪性腫瘍
 
一族の希望の光
 
宮城県○○市○○
○田 ○美○  五十六歳
 
 昭和六十三年十一月の職場の検診で“ひっかかって”しまいました。胃カメラを覗いていた医師が「タコ足ポリープがあります。大分悪いので、すぐ手術しましょう」と言うのです。ところが、年末にかけてお客さんを招いての宴会が立て込んでいる時期でもあり、それらが一段落した十二月末に精密検査を行うことにしたのです。
 そんな中で光線療法に出会いました。検査までの間に心配した妻と、妻の兄夫婦に誘われて仙台市の仙台光線治療院を訪れ初めて光線照射を受けました。最初は“光線で病気が治るなら医者はいらない”とまったく信用していませんでした。治療を受けたのも妻や兄夫婦への義理だったのですが、帰りのドライブインで食べた食事の美味しかったこと。そこで一つの手応えを感じました。
 十二月に六回照射し、年末に病院で検査を受けました。すると担当医が首をひねりながら「ポリープが無くなっています。一体どうしたんだろう」とビックリしています。私自身も胃カメラのモニターを見て、その効果に驚きました。さっそく光線治療器を購入して毎朝一時間の照射を続けていますが、胃に異常は認められません。
 さらに素晴らしい事に、風邪を引かなくなりました。また、それまでは酒も結構飲んでいたのですが、光線を照射するようになってからは、酒を飲みたいという気がしなくなりましたし、飲んでもすぐに酔ってしまい、量は少なくなりました。体質が変化してきたのか、と思っています。
 私は七人兄弟ですが、今ではこの七人全員が光線治療器を購入し、励まし合いながら光線照射を続けています。姉が膀胱腫瘍の治療に効果を上げており、酒のために身体全部にガタがきていた兄がすっかり元気になったほか、姑も肥満からいろいろと病気がちだったのが顔色も良くなってきました。
 光線治療器は、今では私ども一族にとって無くてはならないものになっています。
 
 
 
 
上記は、全国光線普及協会編集・発行の光線療法体験集掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
 
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2007/10/13
サンフォートピア
光 線 治 療 院
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脳腫瘍
 
術後寝たきりの私が行動自由に
 
福島県○○○○町
○田 ○ 六十一歳
 
 ある日、頭が痛くて会社を二日間休みました。二日間寝ていたのに、痛みは一向にとれません。そのうち目までが痛み始めました。目のせいで頭が痛いのかと思い眼科に通いましたが、吐く日が多くなり、62Kgあった体重が40Kgに減り、ついに倒れてしまいました。
 時に昭和五十三年五月二十三日、病院で脳腫瘍と診断され、同年十月三日に手術をしました。「小脳の難しい場所に腫瘍が出来ている」との事で、手術は真夜中の二時まで十五時間に及ぶものでした。
 一ヶ月半も記憶が戻らず、翌五十四年二月には退院したものの、寝たきりで、もちろん他人の肩を借りなければ歩行も出来ません。目は虚ろ、あっちやこっちとキョロキョロし、一点をみつめることも出来ず、人に会うことが兎に角いやで、話もしたくなかったのです。
 そんな時、佐竹先生から光線療法を勧められたのです。妻も他に頼るものが無く、藁にもすがる思いで光線治療器を求めました。そして光線の照射を始めました。五十七年に貧血で倒れ再び入院、六十年に退院したものの翌年にはまたも貧血で倒れました。以前よりも悪化したかと思い、一時は光線を中止しましたが、佐竹先生から「気分が悪くなる時もあるかもしれないが、食事と思って照射を続けなさい」と励まされ、それ以来迷わず、時間の許す限り照射を続けました。
 平成元年、周囲の人が“これぐらい”と思うような弱い光でもカーテンを閉めなければいられなかった私でしたのに、平成二年になって自分からカーテンを開け、これまで戸外に出ただけでも不安で仕方なかったのに、今ではどこへ行くにも不安を感じず、自信が持てるようになりました。
光線治療器がなかったら、私の人生に希望という言葉はありませんでした。社会の廃人でしかなかったと思います。今、二台の器械で照射、妻と二人で健康への感謝をしている毎日です。
 
 
上記は、全国光線普及協会編集・発行の光線療法体験集掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
 
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2007/10/12
サンフォートピア
光 線 治 療 院
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肺癌
 
光線の素晴しさに感謝
 
栃木県○○郡○○○町
小○ ○七   六十三歳
 
 私は水稲と果樹と勤めという生活をしていて、平成二年の春、朝起きるのがつらく、年かなと思って居りました。八月になって、肩胛骨のあたりが痛くなり、疲れだろうと思って居りました。その内に胸も痛くなって来ました。
 私は心臓病があり、五、六年位毎月、月末の金曜日が検診日でしたので病院に行き内科で心臓の検診を受け、胸の痛みを先生に話しましたら「カルテを廻しましから整形外科に行き検診を受けて下さい」と云われ、整形外科にて検診をしましたが、わからず一ヵ月後内科の検診の時に、内科の先生より「胸の痛みはどうですか」と聞かれ、整形外科ではわからない事を話しましたら「それでは私が検査しましょう」と云われ検査をしましたが、わからず「紹介状を書いてあげますので、大学病院に行って検査を受けて下さい」と云われ平成二年十一月八日に東大病院に行き、胸部外科外来にて、診察を受け栃木の病院の写真を持って行きましたので、それを見て「肺に影がありますね」と云われ、レントゲンと心電図の検査を受け、ホルダー心電図をつけて帰って来ました。翌日ホルダー心電図をはずしに行きました。次の診察は十一月十五日です。十五日に行き、検診を受けた結果「一週間入院して検査しましょう」と云われ入院をしました。一週間が二ヶ月に及ぶ検査の結果、一番恐れていた「肺の腫瘍です」との診断が下され、それからはショックで夜も眠れず苦しみました。平成三年一月二十二日に東大病院胸部外科外来にて診察の結果「手術をしましょう」と云われ、翌二十三日の午前十時に、内科より外科病棟に転科となりました。
 外科病棟に入ったとたんにタバコは吸わされず苦しみました。そして一月三十日に手術と決まり、三十日に八時間に及ぶ手術を受けました。場所が悪く肩胛骨を動かしたそうです。「手術は成功しました」と云われたそうです。
 術後四日目にして、呼吸困難となって、肺炎になり意識がなくなり危篤状態となり、医師より「やるだけの事はやりました。諦めて下さい」と云われたそうです。そして意識が回復しましたが呼吸が出来ず、また気管も切開されて居ましたので声が出ず、それは苦しいものでした。
 集中治療室に一ヶ月いたわけですが、二十二日間は身動き一つ出来ず、気管より一日に何十回となく器械でタンを取られ、その苦しみは口では言いあらわせません。その外に、喉にタンが出て来ますので、自分でティッシュで取りますが、一日にティッシュの箱、五箱ずつ使いました。術後一ヶ月で個室に移され、十五日目に喉の管と鼻の管が取れまして、声が出せるようになりました。ですから声の出せない期間は、一ヵ月半でした。そして口から食事も摂れるようになり、日増しに力がついて来ました。その内に体質改善をしましょうとの事でしたが、益子の大塚さんより“太陽光線治療”のお話を聞いていましたので、投薬を断りましたので、術後二ヶ月間入院して、退院となったのです。退院の時には、体重が十三Kgも軽くなって居りました。
返事を書いてもらい栃木病院に行き手当てを受けて下さいとの事でしたが「ベッドが空いていない」との事。 四月六日に入院手続きが完了していましたが、その前日の四月五日の午後、心臓の発作が起こり栃木市内のかかりつけの病院に入院、手当てを受け良くなり、翌日からこの病院で「抗がん剤治療をします」との事でしたが家族の者が断りましたので間もなく退院となりました。
退院した夜に光線の二谷(フタツヤ)先生の診断となったわけですが、体が衰弱していて、座っている事が出来ずに、テーブルに寄りかかっている状態でしたので、体にさわる事が出来ませんでした。お話を聞き、藁にもすがる思いで光線療法をやる決心をしました。そして光線治療器を購入し、二谷先生のご指導のもと、もちろん食事にも気をつけ、いくら光線を照射しても食生活がいい加減であったのでは効き目がないと思い、食卓からは肉や油が消えて、野菜中心の食事となり、家族もまた同じ食事に協力してくれましたので、頑張り通す事が出来ました。
光線治療を始めてから一ヶ月位たって、二日おきに頭が痛くなり、吐き気がしたり、戻したり、時には胸まで痛く、その繰り返しが一年位続きました。その為“光線は効果があるのかな”と半信半疑になる事が再々でした。一年位過ぎた頃になって薄紙をはがすように快方に向かい始め、頭の痛くなる事も、胸の痛みも遠のくようになりました。病院での診察も「すばらしい」の一言ですので気分良く帰って来ます。
去年の夏の事です。頭が割れる様に痛く、吐き気や戻したり、あまりの苦しさに冷やしながら、光線照射をしていた所、ますます痛みが増したので、二谷先生に電話したところ「冷やしたら益々痛みがひどくなる」と云われ冷やすのを止めたら三十分で痛みが止まりました。大変によい体験をしました。
平成四年九月、病院の診断の結果、医師は不思議そうに私の顔を見て「病気はどこにもありません。肺も心配ありません。すばらしいですね」と云われ自分でも信じられない気持ちでした。その後は頭も胸の痛みも遠のき、ただ風邪を引くのが少しまめですが、それ以外は何もありません。家族も毎日光線の照射をしています。
先日、船橋にいる三歳の孫が、肺炎になりましたが、薬一つ飲まずに光線で治りました。また、娘が潰瘍になり、病院に行くと「手術ですよ」と云われたので、二谷先生に相談すると「一ヶ月もすれば治る」と云われ、光線照射をしましたら、半月で治り船橋に帰りました。
光線療法は本当に効果があります。私も薬を飲まずに今日までこの様な姿でいます。光線は本当に利きます。私を始め、家族にとって“光線療法”は無くてはならないものとなっています。光線を始めて二年と八ヶ月位ですが、今は私の体重も七十八Kgに回復をし、光線の素晴らしさに感謝をしている毎日です。終わりに私の手術は、あばら骨二本を取り、左肺半分を取り、肩胛骨を上にあげて手術をしたそうです。
 
 
上記は、全国光線普及協会編集・発行の光線療法体験集掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
 
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2007/10/11
サンフォートピア
光 線 治 療 院
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尿道癌
 
尿道がんと診断され奇跡的に甦った
 
歌手
五城 豊
 
 平成三年、東京の病院で「尿道がんなので、男性自身をカットしなければ、全身にがんが転移するので、二年の命である。したがって切断除去手術を早急に勧めます。」と診断されたときは、目の前が真っ暗になり、放浪の旅に出て「どうせ死ぬなら親兄弟の近くで」と思い、秋田に帰ってきて間もなく二田先生と知り合い藁にもすがる思いで、光線治療を始めました。毎日二時間・三時間必死に頑張った成果が確認できたときのうれしさは、何とも表現できません。正露丸程の大きさのものが日一日と小さくなり、小便するだけで激痛が走ったものが六ヶ月間で完全になくなり、痛みも全くありません。この感激を第二の出発点として痛める人々の為にも光線治療のすばらしさを伝えていきたいと思っております。
 
 
 
上記は、全国光線普及協会編集・発行の光線療法体験集掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
 
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2007/10/10
サンフォートピア
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