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太陽光線を悪者扱いにするため、様々な病気・怪我で苦しむ事となります。それを解消するための”光線治療”です。
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老後に光線療法を利用して

小○ ○○エ  91

 

仙台に居る娘()と浦和に住んでいる母(91)の話です。

夕食を食べようかと思っていた時、電話のベルが。

 老人保健施設(浦和)に入居している母が心臓発作起こしたので、病院へ救急車にて運ぶので家族の方も来て下さいとの事で、急いで病院へ飛んで行きました。

 お医者さん日く、年齢も年齢なので五日間ほど入院し様子を診ます。という事になり、退院後、老人保健施設に戻りました。六月中旬より体中に湿疹が出来、はじめは「あせも」ではと言われたが良くなることもなく湿疹はひどくなるばかりです。病院の皮膚科でも病名も原因も分からず、又戻った老保施設で湿疹はひどくなるばかりこれは施設に問題ありと考え、退所して自宅(仙台の私の)にて毎日光線療法をはじめ、日に日に湿疹は良くなり十日位で体中ひどい赤紫色の湿疹の肌が元の様に白くなり、ほっとして来た時、介護に来ていたヘルパーさんが疥癬という事で、母も組織を取り調べた処、同じ疥癬という事でした。

 母は浦和の老健で疥癬に感染したのですしかし光線療法を続けている私にはうつる事もなく、九十一歳の母は良くなり、私のまわりでも皮膚湿疹、病院で原因がわからずどうする事も出来ない皮膚に光線を当てると、これが不思議と良くなるのです

 浦和の母の家にも光線治療器を置き使っていましたが、八十六歳の時、転倒し右手首骨折の事故。この時も三週間で手を動かし食事も出来る様になり、またれから一年後バスから転げ落ちお尻の骨を縦に割り、有名整形外科でレントゲンの結果どうする事も出来ない。ギブスも出来ず再起不能と言われました。

 はじめはストレッチャーで病院へ、二週間後は車椅子で、その二週間後には歩いて、お医者は驚き首を横にウンと言うだけ、また二週間後においでと言われたが、どんどん歩ける様になった母は二度と病院へは行きませんでした光線治療器を自宅で使っていたからです。

 仙台にいる娘の私が光線療法の良さを十分に理解していますので、母に照射方法などを伝えています私のまわりの友人知人も光線療法の素晴らしさは周知されています。

 今、光線療法については、若い人が勉強しているのを知り、私自身も老いを感じる今日この頃となり、骨を丈夫にしておかないと健康な老後を送る事が出来ませんので、光線治療器を毎日使っています。

 どうぞ、病の方、一週間ほどお試し下さい。きっと良さを理解できると思います


サン○○○○ピア

仙台市泉区市

TEL 022
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体質改善

柿○ ○子 32

 新庄市

 

 青白い顔をして、どこか悪いの?」「どこも悪くないよこんな会話から始まることがよくありました。

 今になって考えると、それはウソでした。私の体はとっても悪いところだらけでした。なのに、それを普通の体、仕方がないと思って生活していたことを、今ではとても恐しく感じます光線に出会ったことに、心から感謝しています。

 自分の体について語るのは、とても恥ずかしいのですが、たくさんの改善された点を紹介します。

 ひとくちで言うと、頭痛肩こり腰痛冷え症生理不順むくみ吹き出もの、たちくらみだるさ。このようなものは、誰もが抱える小さな悩みかもしれません。でも、これらが重なり、それが毎日となると、すごく辛い大きな悩みでした。

 もともと頭痛がひどく、1日に23回薬を飲むのはあたりまえの日々でした。そんなある日、薬も効かず、病院へ行っても異常ないと言われ、仕事を休んで、眠れない日が2日続きました。このまま、私はおかしくなってしまうのではないかと不安に思ったほどでした。3日目に中鉢先生と出会い、(光線)治療を受けその夜は、頭痛が治り手足も暖かく腰や肩の痛みも消えぐっすり眠れたことにすごく喜びを感じました。私の光線治療はここから始まったのです。

 手足が冷たく靴下をはかないと眠れない夜腰や背中が痛くて、座って仕事をするのがつらかった毎日肩こりがひどく、針や整体に通った日々夕方になるとむくんで太くなる足朝起きても、だるくて立っていられない毎日

 今では、こんな日々をおくっていたことが考えられません何よりも薬づけ毎日から解放されてホッとしています。

 毎日、どこか痛いって言わない日がないねー」が母の囗ぐせでした。でも今では「痛い」という日がありません

 光線のおかげで、風邪もひきにくくなりました。薬を飲むこともなく、健康に笑えるようになった私の姿に両親もひと安心の様子です。

 この体験を自信に、多くの方が健康な体をとりもどせるよう、今度は私が皆さまへ貢献できるよう、光線治療を仕事としてがんばっていきたいと決意しているところです。

 

○○光線治療院

玉造郡鳴子町

TEL 0229

 

 

上記は全国光線普及協会発行の光線療法体験集掲載分です。

拡張型心筋症

家族の深い愛で

西〇 〇代 58歳

兵庫県芦屋市

 

 平成4年の夏頃より、背中と胃の焼けつくような、時には息も出来ないくらいの痛みが続き、そのうち体中がまるで風船のようにパンパンに腫れ、歩くことも出来ないほどになってきました。

 夜は横になって眠ることも出来なくなり、食事もほとんど食べられなくなるほど苦しい日が続いていたその年の暮れ、何度か息が止まってしまう状態となり、ついに救急車で大阪の国立病院へ緊急入院致しました。病名は、心臓病の中でも最も難病と言われる「拡張型心筋症」でした。

 その時、医師は夫と息子に「自分の長年の経験からもこれ程まで悪くなった患者の例は初めてで、ここ二、三日持つかどうかわからない。もし助かっても残念ながらあとは移植しか方法はないと言われました。

愛する夫と息子のためになんとか生きたいとがんばり、三ヶ月の入院生活でむくみも少しは引き、ゆっくりとなら歩くことも出来るようになった時、私自身はまだまだ息苦しさはとれず、歩くのもつらい状態ではありましたが、これ以上入院しているよりも家で安静にする方が良いと医師より退院を勧められました。

 平成五年の春退院してからは、外出くらい出来るようになりたいと、かつて母が皮膚治療のために使用し良い結果をもたらした光線療法を思い出し、さっそく購入し、毎日光線機二台で下半身を中心に数時間照射しつづけました。

 1ヶ月目くらいからむくみが少しずつ引きはじめ尿量も増え、食欲もだんだん出てまいりました。3ヶ月目くらいには心エコーによる稼働率も少し増えてきて外出も出来るようになり、その年の暮れから平成六年のお正月四日までの一週間、幸せにも家族で香港旅行にも行けました。

 夢のような日々が続いていたその十日ほど後、阪神大震災があり、わが家も大被害に遭い、電気・ガス・水道も長く止まり、光線機も壊れ照射するどころではなくなり、その間水の入った重いバケツを一階から三階まで運びあげるなどの日々が続き、精神的ショックと過労がたたり、またどんどん悪くなり、再び入院しました。

 退院後また照射を続け、少しずつ回復してまいりましたが、今回は相当ダメージを受けていたのと薬の副作用等もあり「もっと早く回復出来ないものか?」と焦っていたので、他の治療法も試そうと、光線療法を一時やめ、知人より紹介された漢方医の指示より、医師には内緒で病院の薬と併用しながら漢方薬一回500ccを朝,23ヶ月位飲用致しました。

 心臓病に水分の摂り過ぎは命取りになると知っていながら、迂闊にも一日も早く不安と苦しみから逃れたい一心で飲み続け、その間針治療も受けていました。

 ところが、日を追うごとに前回の入院時より以上に体がむくみ、体中パンパンに腫れ、再び息も出来ない重い状態となり、自分でもいよいよもう終わりかと思う苦しみの中、今度は心臓専門の国立病院へ入院しました。

 その時の主治医は、あまりの状態の悪さに驚き、その上漢方薬を飲用していた事実を知り、その無謀さにあきれるとともに、二度とこんなことをしたら命はもうないですよと、家族と私は厳しく注意を受けました。この時は四ヶ月くらい苦しい入院生活を送り、やっと前回に近い状態まで回復した時、医師よりこれ以上良くなることは期待出来ないが、もし現状維持出来れば大成功と思って下さい、ということで退院出来ましたが、家族の深い愛と献身無しにはだめだったと今も感謝しています。

 現代医学では普通の健康な生活は望めないと言われた私は、愛する家族のために一日でも長く生きたいと心から願い、今度こそは光線に頼る以外方法はないと思い真剣に光線療法に取り組みました。

 そのおかげで日に日にむくみが取れ、薬の副作用の苦しみからも解放され、今考えるともちろん薬の効果もあったとは思いますが、なにより光線療法が私の命を救ってくれたと固く信じています

 光線が一人でも多くの方のお役に立ってくれればと願い、平成九年四月より光線治療院「サンヘルス西村」をオープン致しました。

今の私は、誰もが大病をしたなどとは信じられないくらい元気だと言ってくれます。それも日々の光線照射のおかげと感謝しています。

 過去一度も仕事をしたこともなく、ただのんびりと過ごしてきた私が、今までの人生で今ほど多忙で充実した日々はなかったと思えるくらい、明るく元気に仕事や勉強にと幸せな日々をすごさせて頂いております。

 これほど素晴らしい光線にご縁を下さった神様に心より感謝するとともに、今、苦しみと不安に悩み、希望をなくしている病を持つすべての人々にどうかあきらめないで光線治療で私のように再び健康で幸せな日々を送って頂きたいと願い、光線と共に心より愛を込めてエールを送りたいと思います。

○○○○コーポレーション

神戸市

Tel 078

 

上記は全国光線普及協会発行の光線療法体験集掲載分です。

胃潰瘍

光線治療の成果

○○ 孝信 60歳

 

 昭和54年、職場検診で胃潰瘍の診断を受けました。自覚症状がない為不服でしたが医者の指示で一ヵ月の入院をしました。

 退院後、しばらくは毎日、食後の薬と月二~三回の診察を続けました。しかし、自覚症状が無いのと頭はともかく身体だけは丈夫である自信から自然に薬と病院から遠ざかり、暴飲暴食、酒、タバコと胃に悪いと思われる生活を続け、何度か再発、入退院を繰り返していました。

 手術も希望したのですが。“薬で治る。手術は勧めない”との医者の説明と病気に対する無知、無関心から、また職場の都合もあり元の不規則な生活へと戻ってしまっていました。

 昭和61年、自覚症状として、腹痛と強烈な背中の凝るような痛みが襲いました。

 夜中、あまりの苦しさに柱の角に背中を押しつけグリグリと押す…そんな眠れない夜が何日も続きました。指圧、整体、色々な健康器具、漢方薬等試してみましたが好転せず、遂に昭和62年吐血…最初、牛レバーのような血の塊、そして洗面器に一杯の血

 次の日も夜中にトイレ中、血の海になる位吐き、とうとう入院となりました。

 手術はしなかったものの、即、輸血とのこと、七~八人分の血液を頂き、助かりました。

 退院後は内服薬と診察の為通院し、胃カメラによる監視を続けました。

 この頃、光線療法をやっている妻に勧められ、光線を照射するようになりました。

 しかし、以前の体験から他の健康器具と同じであろうと思い、あまり信用はしていませんでした。

 そのため、調子が悪くなると照射し、体調が良くなると休む繰り返していました。確かに照射すると体調が良くなることは実感していました。

 この時期に体験したことですが、薬を飲んでカメラ検査をすると、胃の中は黄粉が付着したようによごれていて胃壁が全然見えず、そのためカメラ管の脇から別の管を入れ、スポイト状のもので水を弾き、洗浄しながら検査するという状態でした。

 それが、光線治療してから検査をすると胃の中がピンク色にきれいになって、胃の壁面の動く様子がよく見えました

 相互に何度も体験しながら私は、まだ光線治療の所為とは気が付きませんでした。しばらく、光線治療と病院通いを続けていましたが、何度か再発は繰り返していました。

 そんな時に私の体質、胃の状態等が潰瘍になりやすいタイプであり、手術をしてから光線治療を行った方が良いとのアドバイスを受け、手術をすることを決意しました。

 平成三年、入院。胃、十二指腸を全摘出しました。退院後は二~三度、傷痕の検査で病院に行きましたが薬等はありませんでした。その後は自宅で光線治療を実施し、病院、薬等とは無縁となりました。

 食事は退院後十日~二週間位は消化の良い、軟らかい物を一日五回位でしたが勤務の関係で不便を感じ、一日三回普通の食事を普通の糧で過ごしました。

 食べすぎて苦しくなると光線照射を続け、一年程で食べすぎて苦しくなるということはなくなりました。

体重、血圧は

   入院前 68~70㎏ 120前後

   退院時 52~54㎏ 90前後

   現在   62kg前後 120前後

 退院後三~四年くらいから変わっておりません。会社の検診でも異常はなく、注意点も全くありません。現在も健康体を維持しています。

 同年輩で胃潰瘍を手術した人達は十年経過しても、毎日の薬と月数回の診察を続け、食事、生活習慣も異常なほど気遣い、又、手術の跡も生々しく残っている状態です。少しでも気を抜くと調子が悪くなり、再発する。との事でした。

 一方、私の傷は一年位で殆ど消え、一本の皺のようであり、他人に見せると”電気メスを使ったから””担当した医師の腕が良かったから”等々、言ってますが私は光線治療の成果であると確信しています。

 私自身、術後の腹の中、特に胃がどうなっているか気掛かりでもあり、又、年齢的にも一度、精密検査が必要かなあと思っていますが会社の検診でも異常なく、風邪、花粉症も関係なく体調も万全の今、折角の良好状態を病院の検査で崩したくないのが本音です。

 今後も自分自身、光線療法で健康を保持しつつ、我の姿と体験を広く伝え、一人でも多く、一日も早く、光線治療の確かさを理解して頂くよう努力していきたいと思っています。

○○光線○○

八戸市

TEL 017

 

上記は全国光線普及協会発行の光線療法体験集掲載分です。

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