太陽光線を悪者扱いにするため、様々な病気・怪我で苦しむ事となります。それを解消するための”光線治療”です。
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剥離骨折
青森県青森市
男性 14歳
我が家の息子が、高い所から飛び降りて手を付いた際に、右手小指の根元を痛め、整形外科で診断を受けました。結果として“剥離骨折”と診断され、包帯で小指と薬指を固定するだけで、完治までには“数週間を要する”との事でした。
家に帰って包帯をはずして見たところ患部は赤く腫れ上がり、痛くて手を握ることは出来ない状態です。そこで、我が家にある光線治療器1台で波長1(赤)のカーボンと波長3(青)のカーボンで患部を前と後ろから各60分光線照射しました。次の日の朝ビックリです。手の腫れが無く、痛みも無く、手を握っても痛みが感じません。昨日医者に言われた“完治までは数週間”は何だったのだろう??と思いました。
この日は、部活(テニス部)を休みましたが、その翌日には練習に復帰しました。単純な治療例ではありますが治癒のスピードが現代医学の判断とあまりにも違いすぎる事に驚きを感じた為、あえて報告致しました。
提供
光線浴セラピーひまわり
竹内 千賀子
上記は、全国光線普及協会編集・発行のサンフォートピアニュース第11号掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
悩んでないでご相談下さい。
2008/02/27
サンフォートピア
光 線 治 療 院
松本 忠
E・メール info@kousenchiryouin.com
URL http://www.kousenchiryouin.com
ブログ“ひなたぼっこ” http://ameblo.jp/kousenchiryou/entry-10037893555.html
光線治療体験 ブログ http://kousenchiryouin.blog.shinobi.jp/
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卵巣がん手術の後遺症を光線療法で
青森県弘前市
女性 55歳
平成19年7月8日、卵巣がんでリンパの全摘出手術を受けました。その後は抗がん剤投与の副作用で毛髪・体毛は全て抜け落ち、声は思うように出なくなりました。
抗がん剤を投与した日から身体に溜まった毒素を体外に排出するため、大量の水を飲むように医師から言われましたが思うように飲めずに苦しんでいた時、数年前に肘が痛くて困っていた時、職場の仲間から紹介された“ひろさき光線治療院”でお世話になり、良くなった事を思い出し、もう一度光線治療を試したいと思い9月から通い始めました。
この光線治療を始めるきっかけは、病院への通院治療をしている時、偶然にも“がんの痛み”をテーマにしたテレビの教育番組で光線療法の効果が報じられたものを家で見たことにありました。
治療を開始した時、術後の傷跡は赤く腫れ上がり、特に内視鏡を入れた傷跡がぐちゃぐちゃでひどい状態でした。
光線治療を開始して3日目、お腹と胸がヒリヒリする様になりましたが“その痛みは日焼けです”と聞いて安心して、毎日照射を続けたところ16日目頃から日焼けにより皮膚がむけだし、その後は綺麗な皮膚に戻ってきました。
休まず光線に通院する中で季節は秋も深まり寒くなっても傷跡の痛みも無く、これまであった便秘も解消され、指摘されていた癒着の恐れも無くなっていました。
30回目の照射が過ぎた頃には術後の傷跡と膿んでいた内視鏡の傷穴も綺麗になる他、全て抜け落ちた毛髪・体毛は以前にも勝るほど、しっかりとはえてきました。通院35日目で連続の光線治療を終了しましたが、その後は健康維持のため週に2~3回の治療を続けています。
追伸
光線治療開始から薬を飲むこともなく12月には無事職場に復帰することが出来、安堵した時、一ヶ月70万円もの健康食品を飲み続けながらも、3年前に骨髄がんで亡くなった夫の事を思い出し“後悔先に立たず”ではありますが、夫もあの時“光線治療を受ければ”とつい考えてしまいます。
提供
ひろさき光線治療院
工藤 妙子
上記は、全国光線普及協会編集・発行のサンフォートピアニュース第28号掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
諦めないでご相談下さい。
2008/02/26
サンフォートピア
光 線 治 療 院
E・メール info@kousenchiryouin.com
B型+C型肝炎の治療例
青森県青森市
女性 45歳
私は二十代前半でB型肝炎と診断されました。その後、7~8年して子宮外妊娠の手術の時にC型肝炎にも感染。積極的治療をせずに年数回の検査のみでした。
平成7年に同じC型肝炎だったおばが肝硬変から肝臓がんに移行して亡くなってゆくのを看取り(いつか私も・・・)と心が暗くなる思いでした。
平成16年の検査でピロリ菌が出たため、勧められてそれに効く薬を飲んだところ、全身がまっ赤に腫れ上がりかゆみのある薬疹が出てしまいました。皮膚科に行くと「すぐに入院して24時間体制で点滴しなければ命の保証はない」と医師から言われたのです。(何故私ばかり・・・)と思いながらどのくらいの入院になるのか聞いたところ「半年になるか、一年になるか、経過を見ないと分からない」という返事でした。当時は仕事で忙しく、知人が開いていた光線治療院は毒出し効果がすごいと記憶していたので、入院は断ってそれに賭けようと決意しました。
それから青森市の新城にある「光線浴セラピーひまわり」まで毎日、治療に通う日が続きました。全身に光線を浴びているとポカポカと気持ち良く、長い間の心配や不安が溶けていくようでした。後半に流れてくるサラサラした大量の汗に「これが毒出しなんだ!!」と納得するものがありました。先生に“実はB型とC型の肝炎でもある”と打ち明けると「光線の熱と光の作用はウイルスに効果があるから50~100回の全身照射できっと良い結果がでますよ」とニコニコして言われました。暗く重かった心に光が射した瞬間でした。
それからは午前一回、午後一回と一日二回の全身照射をした日も多く、希望を持って治療に通い続けました。三週間で38回の全身照射をした後、一ヶ月ぶりの病院の検査がやってきました。
平成17年1月のことです。担当の医師が驚いたように、私に告げました。「数値が正常の範囲に入っています。普通に生活できる数値です。何もしていないのに普通ここまで数値が下がるわけないんだよ!?常識では考えられない事が起こったねぇ~!!」と検査データを見ながら首をかしげています。大きな公立病院ですから診察室が並んでいて「何?どうしたの?」と別な医師がもう二人入ってきました。担当医が検査の紙を見せると二人とも「おお~~っ!!」と驚きの声を上げました。その声に看護師さんたちも集まってきました。私がポカンとしていると「良かったね!!おめでとう!!」と三人の医師が次々と握手したり、肩を叩いて喜んでくれました。私は(夢だと困る)と思い、その検査結果をコピーしてもらい、光線の竹内先生に見せにゆきました。
検査結果の用紙を見ながら病院での事を報告すると「良かったね。良く頑張ったものね!!あなたがどんなに怖かっただろう・・・と思っていたのよ」と竹内先生が涙を浮かべて言ってくれたので、思わず抱きついておいおい泣いてしまいました。でもそれはうれしい涙でした。
肝炎のキャリアであることを内緒にしている方は多くいます。歯医者で断られたり、感染の重圧の他、最近のテレビ報道にもあるように死の恐怖と背中合わせだからです。彼女から頂いた検査結果にはHCV、HBVがマイナスとはっきり書いてありました。平成17年5月の検査でも何ともありませんでした。今でも週2~3回の全身照射を続けています。人道的な考えからも肝炎でお悩みに方々に、この情報をお伝えしたいと思っています。(竹内)
提供
光線浴セラピーひまわり
竹内 千賀子
上記は、全国光線普及協会編集・発行のサンフォートピアニュース第28号掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
諦めないでご相談下さい。
2008/02/23
サンフォートピア
光 線 治 療 院
E・メール info@kousenchiryouin.com
糖尿病壊疽の治療例
① 平成19年10月18日 撮影
① 平成19年10月18日 撮影
写真①
この写真以前は水泡が出来た状態で中が化膿していて、光線照射を始めると非常に臭い膿と黄色いリンパ液の排出が繰り返された後に傷口が乾燥し写真の様になる。
② 平成19年11月27日 撮影
② 平成19年11月27日 撮影
写真②
①の写真から②に至るまで、かさぶたが剥れ落ちるたびに臭いにおいと黄色いドロドロしたリンパ液が出ては乾燥の繰り返しだった。
③ 平成19年12月26日 撮影
④ 平成20年1月5日 撮影
③ 平成19年12月26日 撮影
写真③
②の一番大きなかさぶたが落ちてからは、においもなく、リンパ液もあまり出なくなって患部もだいぶスッキリしてきたが、まだ完全に足を地面に付けることは出来ない。
④ 平成20年1月5日 撮影
写真④
平成20年1月5日、写真の通りほぼ完治、今後は壊疽防止と糖尿病の治療を兼ね、自宅での光線治療に切り替える。
尚、現在に於いてもインスリンの投与は一切していない。
宮城県東松島市
女性 60歳
今から15年程度前に風邪を引き病院へ行った時、血液検査で糖尿病と診断された。
当時の血糖値は250で一日一回のインスリン注射を続けてからは140~150程度で落ち着いていた。その5年後、光線療法を知り光線器械を購入して治療を続けた結果、全ての面に於いて体調が良く、光線照射開始後、一年程度で5年も続けていたインスリンを切ることが出来た。
その後も約3年、真剣に光線照射に取り組んだお陰で体は健康そのものだった。何の不自由も感じることの無い状況の中で次第に光線照射も遠のいていった。
その後、ご長男が東京に就職、慣れない東京生活の手伝いが出来ればと思い、炊事洗濯する傍らスーパーのアルバイトをしていた。
平成19年6月頃より疲れを感じる様になり、栄養ドリンクを一日二本ずつ一週間飲み続けた。そのうちに目がかすむようになり、足全体が約一ヶ月間痛みから激痛へと変わって行き、次に股関節から足首まで象の足の様に腫れ上がった。
自分で皮を破って水を出したことで傷口から菌が入り壊疽が始まった様だ。ご主人に光線器を東京まで一台送らせて照射を続けながら約一ヶ月でアルバイトを辞め、急遽仙台に戻った。
ご本人は家政婦の経験があり、糖尿病壊疽で足を切断するのを見ており、病院に行く気は無く、ご主人と相談の上、当、光線治療院“サン・ピア”を訪れたのだ。平成19年10月2日のことである。
一日一回、サン・ピアでの治療に加え、当院が休みの日曜祭日と夜寝る前の毎日は自宅の光線器での治療を約束し治療を開始した。
治療期間
平成19年10月2日~平成20年1月5日
治療院での治療内容
光線器五台を使用。一回40分
膝・ふくらはぎ・腹・腰の四台は波長四(緑)カーボン。
足裏(壊疽の患部)の一台は波長一(赤)カーボン。
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光線治療院 サン・ピア
院長 佐藤 良勝
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2008/02/13
サンフォートピア
光 線 治 療 院
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脱肛
我が家の健康、週一回の健康ドライブ
宮城県○○郡○○町
○藤 清○ 六十三歳
平成九年二月の事です。定年退職後にやっと見つけた食品会社にパートで採用され半年位が過ぎ、深夜の仕事にも馴れ、その晩も作業終了近くになって突然下腹部に激痛が。我慢出来なくてトイレにしゃがみ込む間もなく、多量の出血と痛みで目の前が暗くなる思いでした。本当に大変な事になっておりました。翌日、仙台の肛門科の病院に行き、検診の結果「脱肛で手術が必要です。一週間の入院が必要です」との事。「ベッドが空き次第来なさい」といわれ、その日は帰宅したのですが、心中は“せっかく採用された会社を一週間も休んだら!?”と、手術の事より仕事の方が心配でした。
そんな時タイミング良く、知人のKさんから「長年交通事故の後遺症で苦しみ、様々の治療をしたが、中々治る見込みがなく、最後に光線に出逢って大分良くなった。痔だって手術しなくても必ず治るよ」と確信のある話と、Kさんの今までの長く苦しんでいた様子と、近頃の歩き方を見て大分良くなったと感じていましたので、すがる思いで古川の光線治療院へと三十分の道のりを急ぎました。これが”光線”との出逢いで、何も分からないままに光線を当てて頂き、大汗をかいて約一時間、とても身体が軽くなり、快い気持ちで、真夏の浜辺で裸で日光浴をしている様な快適な気分で、帰りは鼻唄がけでした。二、三日光線をかけた時、手術など全然する必要もなく、身体は正常に戻って脱肛も引っ込んでしまい、本当に不思議な体験です。光線治療の間、夜は会社を一日も休まずに働いておりますので「とても顔色も良いし、入院しなくて良かったのか」と会社の人達も不思議がっているので、光線治療院から頂いた体験集のパンフレットを見せてあげたら感心して「俺達も治療してみっか」などと言っております。それから勤続四年目に入りました。その出逢いから三年半ばかり過ぎて、今、妻と二人で「健康のドライブ」一週間に一度、古川の治療院に行くのが一番の楽しみです。そうしていつの間にか、あれ程いつも痛かった腰痛や足のしびれ、鼻炎、下痢気味な腸の具合など、身体全体が生き返った様です。
妻も光線をかけて頂く様になってから身体の調子がとても良くなり、いつも“夏ばて”などと参ってしまう事もなく、喜んでいます。ちょっとした打撲や目の炎症などまで病院よりまず“光線”で、我が家の健康はパーフェクトです。
治療院の先生や社長さんには、本当に親身になって相談に乗ってお世話頂き、感謝の気持ちで一杯です。また、光線治療を紹介して下さったKさん、本当に有難うございました。
多くの人々に、このすばらしい治療法を教えてあげなければと思っております。
上記は、全国光線普及協会編集・発行の光線療法体験集掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
悩んでいないでご相談下さい。
2007/10/19
サンフォートピア
光 線 治 療 院
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