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太陽光線を悪者扱いにするため、様々な病気・怪我で苦しむ事となります。それを解消するための”光線治療”です。
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糖尿病を四ヶ月で克服
秋田県秋田市
三○ ○良

 平成6年12月、私は脳梗塞で倒れ、脳研病院へ救急車で運ばれ、運良く殆ど後遺症もなく退院することができました。原因は、糖尿病性細小血管症からのものと説明を受け、退院後は血糖値を下げるための食事療法が始まりました。妻は医師の指示通りのカロリー計算による食事をけん命に作ってくれました。もちろん私の身体を心配してのことではありますが、私はいつも腹ペコ、妻の目を盗んでは間食をするありさまでした。
 平成7年1月29日、妻の友人からの紹介により光線治療を開始しました。当初は半信半疑ではありましたが、二田先生の糖尿病に対する詳しい説明を聞き、また、「カロリー制限は不必要」との頼もしい一言が気に入りました。十日前後には必ず二田先生が寄ってくれて「どうですか」と聞いてくれるのでますます信頼し、一日も欠かさず毎日一時間以上照射しました。
 二ヶ月を過ぎ、三ヶ月目に入った頃より血糖値が下がりだし、満四ヶ月で血糖値が100となり、医師より大変なおほめの言葉をいただきました。私は医師に対し「カロリー制限を守った結果です」とうそぶいていましたが、二田先生からは「六ヶ月頑張ってみて下さい。保証します」と言われましたが、まさか四ヶ月で完治するとは予想できませんでした。
 光線療法を紹介してくれた石○幸子さんには感謝の言葉もありません。そして親身に相談にのってくれた二田先生、ありがとうございました。今後も合併症の予防のため、毎日光線照射は続けます。
 また、糖尿病は不治の病とあきらめている人々に私の体験談を是非お知らせして、皆様のお役に立ちたいと思っております。


上記は、全国光線普及協会編集・発行の光線療法体験集掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。


2007/07/15
サンフォートピア
光 線 治 療 院
E・メール  info@kousenchiryouin.com
URL    http://www.kousenchiryouin.com

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脳梗塞


青森県五所川原市
○口 宏 55歳

 11/9朝、布団の中にて身体の異変に気付く。本人が脳卒中と判断し、病院へ行かず、青森光線治療院(花田先生)にて集中治療。11/10より、とわだ光線治療院ひなたぼっこ、にて泊り込みで集中治療。障害が起きてから5時間位経過していたものの、早い段階で光線療法を行った為、驚異的なスピードで回復。

以下日付と照射時間と特記事項を記録

11/9 光線照射8時間
 右腕ぶら下がった状態。右足コントロール不能、トイレでの自立にも介助が必要。言語ほとんど聞き取れず。8時間の照射後少し言語が聞き取りやすくなる。

11/10 光線照射9時間
 右手親指かすかに動く。数回の転倒を繰り返し歩行し始める。

11/11 光線照射8時間
 朝、一回転倒。右手へ赤カーボン照射で右肩にしびれが起こる。右手の指動く。右足軽くなり、力が入るようになる。あくびの回数が減る。心臓の痛み有り。

11/12 光線照射7時間
 指の動きが快調になる。一度も転倒しない。右肩しびれ。

11/13 光線照射6時間30分
 外を一時間散歩出来るようになった。スクワットもできた。右肘が肩の高さ迄上がる。散歩、長時間照射、歩行できた精神的安堵から疲れが見える。

11/14 光線照射7時間
 二日連続散歩。腰の高さまで右膝が上がる。後ろ歩きも大丈夫。一人で入浴。丼を持とうとするが、右手が汁の中にドボンと入ってしまった。右手のリハビリの意欲が出てきた。心臓の痛みが軽減してきた。

11/15 光線照射7時間40分
 腹部照射後、下半身不安定。気圧が下がるに連れて体調重く、夕方雨が降ったら体調が軽くなった。

11/16 光線照射7時間
 前日の腰への照射で足は軽快だが腰がだるい。みかんで右手のトレーニング。右手を動かす為に肩から腕全体の力が必要で大変疲れる。右手を使ってタオルで手を拭けた。寝ていた時、強ばっていた指が伸ばした状態になってきた。心臓の痛みが全く無くなる。

11/17 光線照射6時間
 初雪。寒くて体が重い。言語も少しおぼつかない。

11/18 光線照射7時間
 両腕伸ばしたまま180度開ける様になった。両腕を真上へ伸ばし、指も全部開ける。

11/19 光線照射6時間
 病院での診察の為、集中治療中断

11/20
 診察の為、病院へ

11/22
 検査の為、病院へ

11/23
 結婚式のため、東京へ2泊3日。

とわだ光線治療院ひなたぼっこ
光線療法師 坪 ○○

上記は平成11年12月1日発行の“こもれび”よりですが、この“こもれび”の最後が以下の通りとなっております。

 今回の症例は、本人の光線療法に対する熱い思いと決断力が好結果を生んだものと信じております。急を要する為、検査をする時間を惜しみ脳出血とも脳血栓とも解らないまま光線は双方に有効に働く為、治療開始。今回は脳梗塞の診断。脳の血管に障害物が詰まり末端の脳細胞に血液が循環されなくなって起こった右半身麻痺、言語障害でした。
 光線照射により紫外線で光合成されたプラスミンが血栓となった蛋白を溶解し、虚血状態に成っている毛細血管を拡張させる光合成物質キニンを生成し、赤外線の熱エネルギーで血流を増加させて最悪の状態は回避されました。予後、リハビリも兼ねて再発防止の為光線療法を継続し、体全体の血管の内腔が狭くなっている動脈硬化を改善する目標でおります。その結果160前後ある血圧の収縮値も自然に低下します。光線療法は自然な療法ですが、驚異的な効果を発揮します。今回もその一例と言えると思います。

by ひなたぼっこ
 

以下はご本人様が光線療法体験集に投稿された原稿のまま転記致します。

光線の心

脳梗塞

青森県五所川原市
○口 宏 55歳

 「今、地球が病んでいる」という。「人間」という寄生虫に水や空気を汚され、山を崩され、木を切られて、至る所に傷を負っているのでしょうか?地球が「生きている」としたならば、ずいぶん耐えている事であろう。

 よくもこうまでされて我慢していられるものだ・・・と感心するが、いつかは我慢も限界になる時があるだろう。地球の堪忍袋の緒が切れたら一体どのような事が起こるのだろうか。

 私は昨年の暮れ近いある朝に、私が住む地球(肉体)に突然意思の自由を奪われてしまったのである。

 体が「疲れた」「苦しい」という信号を出していたのに「仕事」という大義名分を掲げては、夜更かし、タバコ、寝不足、不規則な食事・・・等々で随分酷使していた・・・と思う。労りがなく、思いやりのないこの宿主に対して突然にお仕置きを見舞って来たのである。

 以後は日頃から信じて人様に勧めてきた「光線療法」に全てを托す事になり、坪○○先生ご夫妻のお人柄に接する事になっていくのである。

 その後の回復は自分でも信じられないものがあり、大いに満足している以上「選択の正解」と「光線の威力」は病める者にとって「希望」と「勇気」を与えてくれるものである事を確信したのである。俗に「気を病む」とも言う。

 私の回復が予想を超えて早かった訳は他にもある。病気にかかっている者の心理状態は常に「灰色」いであると言ってもいいだろう。そんな患者を日ごろ気遣い「笑顔」と「笑い声」を絶やさずに、いろいろな話題で時間の過ぎるのも忘れる様に治療に専念して下さった坪先生の奥様には格別の感謝の念に駆られている。

 その事は同時に、病める者を扱う「医療現場」のあり方を考えさせるものであった。
 「痛い注射」や「苦い薬」と暗い病室に閉じ込められていては治る病も治らない。薬も注射もなくていい「やさしい笑顔」はその何倍もの力で回復に導くのである。

 生物を生んでくれた地球・・・生物の母なる地球は毎日太陽の恵みを受けて傷をいたわっているのであろう。光線で病から脱出した者にはそうした光景が目に浮かんでくるのである。

 せめて「この土を、この水を、この空気を汚すまい・・・」と気遣い、共に住む動物や草木に息吹を感じとれたら、人間の仕業に対して地球は怒りを押えていてくれるのではないだろうか?

 ある朝突然やってきたあの出来事が地球に起こったら、どんな事になるか想像も出来ないのである。

 「地球には太陽があり」「人間には光線治療器がある」

上記は、全国光線普及協会編集・発行の光線療法体験集掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。


2007/07/07
サンフォートピア
光 線 治 療 院
E・メール  info@kousenchiryouin.com
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私の身体は病気の巣

宮城県仙台市
村○ ○雄  84歳

 私の青春時代は戦争の明け暮れで仕事は殆ど軍需品に関係したもので現在とは違い重量運搬が殆ど、肩にかつぎ馬車で納品した。その時私は右肩を脱臼し、腰も悪くしたがその頃は病院も少なく、妻がうどん粉を酢で合わせて布に塗り、湿布をしてくれた。何の治療もないまま終戦となり、そちこちにマッサージや骨つぎ(今の整骨院)などが出はじめ、一生懸命通い身体の手入れをしたが治癒する事はなかった。

 がまんを続けて40数年、その時私の友人から「私の子供が通学中に足首を骨折、何箇所かけがをして、その時に太陽燈(光線治療器)で何ヶ月間かけて完全に治して学校に行っているので、今使用していないので(私に)使用してみたら」と貸してくれた。

 治療院・病院で見放された形だった時に、これは神の恵みだと、太陽燈を使わせてもらうことにした。とても腰痛の調子が良くなって長期間貸してもらい、気の毒な気もしたので、自動の太陽燈が出た事を知り、サンフォートピアに電話してカタログを持ってきてもらい、すぐに購入して使うことにし、借りていた器械に感謝し、友人に返しました。

 月一回の病院の血圧測定で異常に高かったのが光線治療を始めるようになってからは正常値が続いている。前にも自律神経症もあったし、脳梗塞で入院した事もあったが、その症状は今は全く無くなっている。

 病院での内蔵の検査でも、検査するごとに「若い人の内蔵機能だ」言われている。これも太陽燈のおかげです。太陽燈のおかげで足腰肩は悪化せず、現在も会社に何回か出社している。サンフォートピアの皆さんのご指導を受けながら(たまに治療院で全身照射している)84歳の今日まで元気に暮らしています。

 私は頭痛持ちで非常に悩んでいましたが、今は頭痛も消えて大変うれしく思っております。
 太陽燈に大いに感謝しています。(現在は最新式の全自動光線治療器(フォトピー)を使っています)

提供
仙台サンフォートピア
院長 佐藤 良勝

上記はサンフォートピアニュース 平成16年10月1日掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
サンフォートピアニュースも販売しています。(年会費1,000円 4回/1年発行)


2007/07/11
サンフォートピア
光 線 治 療 院
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ネフローゼ症候群

福島市
○○ 静子

 私は平成6年手足がむくみ「ネフローゼ症候群」と診断され、一年一ヶ月の入院をしました。

 最初は三ヶ月の入院と言われましたが検査の結果、治療方法としてステロイド剤の投与しかないと言われ、プレトニゾロンという薬の治療になり長い年月がかかりました。このステロイド剤は対処療法にすぎなく、おまけに副作用にはとても怖いものがあります。この薬を長期に服用していると手先や足の先が腐り切断する人もいると医者からは説明があり、とても危険な薬と言われ医者の指示に従って服用するようにと言われました。

 最初は六錠から始まり、一錠減るのに三ヶ月位かかります。又、食事は塩分制限で外部の人との面会の時マスクを使用するなど本当に大変でした。ステロイド剤の投与で尿たんぱくは少しずつ減ってきて効果がでてきたと医者は言っていた様ですが免疫力は下がってしまったようです。その一つとして体がとてもだるくて何も出来ないのです。その時は本当に自分を見失う位つらかったです。その後三錠まで減り、ようやく退院になりました。一年一ヶ月の入院生活でした。退院しても体のだるさは変わりません。家事のことをすることがやっとで毎日がつらかったです。ある時から私は勝手にステロイド剤の服用をやめ検査を受けたところ、治っているからステロイド剤の投与はよいと言われました勝手にやめた薬は正しかったのか良く分かりませんが自分としては良かったです。体はだんだん良くなり仕事も少しは出来る位になった矢先の平成10年に食べ物が食べれなくなり検査の結果、シェーグレン症候群と診断され、四ヶ月の入院生活をしました。又、この時の治療としてもステロイド剤の投与の話でした。前の病気の時で十分副作用のことを知っているので医者の指示に従うことに疑問があり、なんとかして自分の力で治したいと思い、食事療法に取り組み病院で勉強して自分なりの食事をして薬はステロイド剤を除いたものだけ飲み入院生活をしていました。

 四ヶ月後退院して家事のことだけの生活をしていた頃、光線治療の話しがあり、主人と先生の話を聞きに行きました。主人の協力があり、すぐに治療器を三台求め治療を始めました。三台より五台が良いということですぐに二台を追加し、五台で治療していましたが、又一台追加して現在六台になり有難いと思っております。

 光線治療の説明の中で食事の事があり、油料理は体に良くないと説明を受けたので極力、油料理をさけた食事で治療をしています。確かに油料理、特に天ぷらなどを食べた後、下痢などの症状になります。話が前後してしまいましたが、私の光線治療に入る時に二谷(ふたつや)先生の話によると、今すぐ私の体を矯正する事は出来ないと言われました。そして私の体を7年かけて治すと言われ、本当に嬉しく思いました。今、光線治療を始めて半分の三年目です。一年前には目から目やにが出て治るまで四ヶ月間かかりました。又、四ヶ月過ぎたら目やにがたまり、三ヶ月かかりました。これはネフローゼの時のステロイド剤の副作用であるということでした。光線治療で体の中の異物を出して健康な体を作ってくれる働きは大変嬉しい事です。

 食事と光線治療は自然の力と自己免疫を上げる自然治癒力を高め、体全体が正常に働く様にしてくれるものです。これからも光線治療に専念し健康な体の維持に努めていきます。現在は仕事もしています。普通の人と何ら変わりはないと自分では思っているのですが、二谷先生によるとまだ八割とのことです。ここまで良くなったのも光線の力と感謝し、これからも健康のために続けていきます。

 

提供
共栄器材株式会社
太陽光線治療院
 
上記はサンフォートピアニュース 平成16年7月1日掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
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2007/07/07
サンフォートピア
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乳ガン

福島市
○○ 京子

 平成11年9月30日、知人の紹介で太陽光線治療に出会いました。私は早速、二谷(ふたつや)先生にお会いし、お話を聞きました。今までにほとんど聞いたことがない、自然治癒、ホリスティック(全体的)治療のお話でとても関心を持ちました。私は貧血で何年も薬の副作用に悩まされていたので、光線治療を体験しようと決意しました。その後、二回三回と通い続けていた頃の平成11年10月8日胸部に異常を感じたのです。これはただ事ではないと思い、総合病院に駆けつけて検査をしました。その日はレントゲン撮影の結果報告のないまま帰されました。

 二ヶ月が過ぎた平成11年12月25日「精密検査の必要がある」と言われ平成11年12月28日大学病院を紹介されました。その時、私の家族には一人として癌になった人がいなかったので、自分がまさか癌だとは考えもせずに、軽い気持ちで大学病院へいきました。

 第二外科に案内され私は総合病院から預かってきた、レントゲンを先生に差し出すと「検査するまでもないですね、間違いなく乳癌です。来年1月4日に入院してください」と言われました。癌と言えば抗癌剤・・・。やはり抗癌剤に対する恐怖心が強かったので、私は光線治療で改善しようと入院を断りました。

 ところが私の身内には臨床検査技師、薬剤師、看護婦と医療関係に携わる者ばかりで、手術を拒否したことに対して猛反対でした。私も光線治療に対する知識不足もあり又、一人で生活を支えていた事もあって自分自身も不安になり、二谷先生に相談したところ「どうしても不安なら最小限に手術をし、手術後は病院を抜け出しどんどん光線をかけなさい。それから入院前も沢山光線をかけて行きなさい」と指導していただき、一日6時間光線をかけ続けました。

 平成12年1月11日いよいよ大学病院に入院しました。一週間は手術のための検査です。私は手術の前日、主治医に「手術は最小限にお願いします」と伝えました。平成12年1月18日、いよいよ手術の日がきました。麻酔をかけられた後は何も分からないまま手術が終了し、気が付いた時には病室に戻っていました。結局は左手のリンパ節を全摘出され左乳房は温存手術でしたが、鉄板のように硬く、手は全く上がらない状態でした。早速手術の結果を二谷先生に報告しました。先生は「心配なことがあったらいつでも電話してくるんだよ、頑張るんだよ」といつでも励まして下さいました。手術後、三日目外出準備に入りました。

 1、2月といえば、一年で一番雪の降る月です。この年は例外になく雪が多い年で、左手にリンパ液と血液を流す管を入れたまま左手が動かない状態で、コートで隠し、病院の先生には「仕事が忙しい」と嘘をついて、金・土・日の週末は光線治療のために帰宅しました。早速、管を入れたまま光線をかけました。すると驚いた事に、管を押さえているガーゼが絞るほどに濡れました。そしてあっと言う間にリンパ液が出なくなったのです。この時太陽光線の力に驚きました。その後病院での回診の時、主治医達と一緒にいた、医大生が私の所に来て「○○さんはすごく治りが早いけど何故だ、普通なら管が抜けるまで、二週間はかかるんだが、一週間も早いと主治医達が言ってましたが何か別の治療をしていますか?」と聞かれ太陽光線の話をしたところ、早速医大の図書館に行って調べてくれたのです。それは英語で書いてあったので訳し、丁寧に説明して下さいました。

 「太陽光線は外国では取り入れられている良い治療ですので頑張って続けて下さい」と励まされました。

 退院の日が近づき、放射線治療を受ける事ことになりました。入院している以上放射線を受けなくてはなりませんでした。嘔吐、手足のしびれ、下痢などの副作用がひどく血小板、白血球が激減したため、沢山の薬を出されましたが、一切飲みませんでした。退院後の治療としては正直言って光線治療だけで大丈夫か不安でした。でも二谷先生はいつも本気で患者さんを心配してくださいます。その言葉を信じてついていこうと決めました。薬を一切飲まないで先生の食事の指導と光線治療で五年を迎えます。今では風邪をひかず疲れも知らない、元気な生活を送っています。

提供
共栄器材株式会社
太陽光線治療院
 
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2007/07/07
サンフォートピア
光 線 治 療 院
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