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太陽光線を悪者扱いにするため、様々な病気・怪我で苦しむ事となります。それを解消するための”光線治療”です。
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脳腫瘍
 
術後寝たきりの私が行動自由に
 
福島県○○○○町
○田 ○ 六十一歳
 
 ある日、頭が痛くて会社を二日間休みました。二日間寝ていたのに、痛みは一向にとれません。そのうち目までが痛み始めました。目のせいで頭が痛いのかと思い眼科に通いましたが、吐く日が多くなり、62Kgあった体重が40Kgに減り、ついに倒れてしまいました。
 時に昭和五十三年五月二十三日、病院で脳腫瘍と診断され、同年十月三日に手術をしました。「小脳の難しい場所に腫瘍が出来ている」との事で、手術は真夜中の二時まで十五時間に及ぶものでした。
 一ヶ月半も記憶が戻らず、翌五十四年二月には退院したものの、寝たきりで、もちろん他人の肩を借りなければ歩行も出来ません。目は虚ろ、あっちやこっちとキョロキョロし、一点をみつめることも出来ず、人に会うことが兎に角いやで、話もしたくなかったのです。
 そんな時、佐竹先生から光線療法を勧められたのです。妻も他に頼るものが無く、藁にもすがる思いで光線治療器を求めました。そして光線の照射を始めました。五十七年に貧血で倒れ再び入院、六十年に退院したものの翌年にはまたも貧血で倒れました。以前よりも悪化したかと思い、一時は光線を中止しましたが、佐竹先生から「気分が悪くなる時もあるかもしれないが、食事と思って照射を続けなさい」と励まされ、それ以来迷わず、時間の許す限り照射を続けました。
 平成元年、周囲の人が“これぐらい”と思うような弱い光でもカーテンを閉めなければいられなかった私でしたのに、平成二年になって自分からカーテンを開け、これまで戸外に出ただけでも不安で仕方なかったのに、今ではどこへ行くにも不安を感じず、自信が持てるようになりました。
光線治療器がなかったら、私の人生に希望という言葉はありませんでした。社会の廃人でしかなかったと思います。今、二台の器械で照射、妻と二人で健康への感謝をしている毎日です。
 
 
上記は、全国光線普及協会編集・発行の光線療法体験集掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
 
悩んでいないでご相談下さい。
 
2007/10/12
サンフォートピア
光 線 治 療 院
E・メール  info@kousenchiryouin.com
ブログ“ひなたぼっこ”  http://ameblo.jp/kousenchiryou/entry-10037893555.html
 
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