太陽光線を悪者扱いにするため、様々な病気・怪我で苦しむ事となります。それを解消するための”光線治療”です。
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産後の後遺症が十八日で全快
宮城県○○郡○○○町
○谷 ○子
昭和六十年六月古川市の産婦人科病院で出産しました。生まれてきた子供が四四〇〇gと余りにも子供が大きかったのと、それに切開分娩の後遺症を恐れて切開せず、普通分娩をしたのですが、分娩後は全くの寝たきりで、腰にサラシをしっかりと巻きつけたまま寝返りもできない状態になってしまいました。食事も母に食べさせてもらい、下の世話から一切をしてもらうという有様がしばらく続きました。
一ヶ月の入院中、二回ほどレントゲンを撮ってもらいましたが“恥骨が三Cmぐらい開いたままになり、その部分が一向にねばろうとしない”とのこと。一ヶ月経ってもそんな状態でしたので、医師から「長期間かかるので一応退院して自宅で静養してはどうか」といわれ、両側から肩を支えられてやっとの思いで退院、家の寝床におさまりました。
ちょうどそのころ、実家の父が光線治療器を購入して使っていた時だったので、私のような病気にも効くのかどうか分かりませんでしたが、仙台の治療院の中川先生の指導で治療を始めました。とにかく病気の場所が場所ですから、上座敷の一室を私の部屋にしてもらい、そこに長椅子と治療器を持ち込み照射を始めました。最初の十二日間は緑・赤カーボンで腰と局部に一日二回照射し、毎日それを繰り返しました。
最初の一回目をかけ、その晩休む時にそれまで感じたことのないほど患部がなんとなく楽になったような感じがしました。そんなことが一つの励みになって毎日照射していましたが、十三日目からカーボンを青・黄に替えて六日後に歩けるようになり、トイレにも一人で行けるようになりました。それまでは子供を部屋まで連れてきてもらって授乳していたのですが、自分で抱いて授乳できるようにもなりました。また、足を高く上げても全く痛くなくなっていてみんなで大喜びしました。
最初の緑・赤カーボンで良くなっていたのか、青・黄カーボンが良かったのかは分かりませんが、とにかく、光線療法を始めて十八日にして全快しました。同じ病院でお産して私と同じ症状の患者の話を聞きましたが、その方は治るまで三年もかかり、その後も農家なのに鍬を持つこともできず、歩いても数歩で腰が痛むという状態。それに比べて私は、家業の弁当屋を「今度は私の出番」とばかり、みんなと一緒に張り切って頑張っています。
上記は、全国光線普及協会編集・発行の光線療法体験集掲載分です。もっと詳しくお知りになりたい方は当方までご連絡下さい。
悩んでいないでご相談下さい。
2007/10/02
サンフォートピア
光 線 治 療 院
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